【世界史勉強法】古代ヨーロッパ史の流れと試験対策のコツ

太古のヨーロッパには、ストーンヘンジに代表されるような巨石文明が栄えた時代もありましたが、ある程度進んだ文明社会が登場するのは、エジプトやメソポタミアに比べるとかなり後になってからでした。

そこから始まる古代ヨーロッパの歴史は、何と言ってもギリシアとローマが主役でした。

先史時代のヨーロッパ

近年になって考古学界での発見が相次ぎ、ヨーロッパにほど近いトルコ南部で、今から1万2000年前の石器時代に作られた、ギョベクリ・テペと呼ばれる巨石建造物が発見されています。

また、はるか以前にイギリスで発見されたストーンヘンジも、今から5000年以上も昔の遺跡だと言われています。

これらの遺跡はエジプトのピラミッドのように、とてもその当時の人々が建造したとは思えないほど、巨大でしかも超高度なテクノロジーの固まりです。

もしかすると、現代文明とは異なるタイプの進んだ文明があったのかもしれません。

ギリシア以前のヨーロッパ

紀元前(B.C.※Before Christ)7000年頃からの新石器時代と、B.C.3600年頃からの青銅器時代には、日本の縄文時代のように人々は小さな集団単位で生活していました。

それがB.C.2100年頃の中期青銅器時代になると、クノッソスを中心とするクレタ島で文明が誕生し、B.C.1600年頃にはミケーネを中心にした文明が勃興します。

現在ヨーロッパの中心になっているドイツ、イギリス、フランスの発展は、ずっと後の時代になってからのこと。

古代ヨーロッパの中心地は、地中海をぐるりと囲む沿岸部でした。

これら文明の中心地は共に現在のギリシアにあり、小規模な宮殿跡などが知られています。

しかしどちらの文明も、B.C.1200年頃には姿を消してしまいました。

ギリシアを中心にしたヨーロッパ(B.C.750~B.C.338年頃)

続いて歴史に登場したのが、独自の都市国家という形態で拡大したギリシア文明です。

ギリシアでは各地にポリス(中心都市のある地域連合)と、エトノス(中心都市のない地域連合)が形成され、それぞれがほかの都市国家(主にポリス)と競合関係を築きました。

小さな国々がケンカばかりしていた、日本の弥生時代によく似ています。

主要なギリシアの都市国家は、地中海交易によりエジプトフェニキアと交流し、イタリア半島の先端部に植民地を築くなど、まさに小さな独立国家として機能していました。

こうした中から軍事的、政治的に強い影響力を持つポリスが現れ、それが時代ごとに交代するのがギリシア文明の特徴です。

ギリシア世界の覇権は、アテネ(アテナイ)スパルタテーベ(テーバイ)という3つの都市国家間で引き継がれました。

まずアテネはデロス同盟の中心になり、B.C.500年頃から東方の大国アケメネス朝ペルシアとの間でペルシア戦争に突入。この戦争でギリシア連合が勝利します。

ペルシアとギリシアとの戦争は、例えて言えば人間に対して、米粒がいくつか集まって戦いを挑むようなものです。

それでも巨大なペルシアに勝利したのは、長槍や大きな盾(たて)で武装した、ギリシア軍の密集歩兵戦法と、ギリシアの特殊な地形を利用したためだと言われています。

強大化するアテネに対して、スパルタはペロポネソス同盟を結成し、B.C.431年頃にアテネとの間でペロポネソス戦争が勃発します。

この戦争に勝利したスパルタはギリシアの盟主になりますが、軍事的失敗が続きその座をテーベに明け渡します。

その後B.C.350年頃になると、北部のマケドニアがギリシアに勢力を拡大し、カイロネイアの戦い(B.C.338年)でアレクサンドロス大王がギリシア連合を撃破したことで、約400年間のギリシア時代は終わりを迎えました。

アレクサンドロス大王は、さらにペルシアも滅ぼして(B.C.331年)巨大な帝国を建設。

ギリシアからインドに至るヘレニズム世界を打ち立てました。

ローマ帝国によるヨーロッパ文明(B.C.750~A.D.476年頃)

ローマ帝国がいつごろ生まれたのかは、はっきりしていません。

やはりギリシアと同じように、小集団で暮らしていた人々が、B.C.750年頃から緩やかな結びつきの中で王政を始めたと言われています。

さらにB.C.509年には、王政を廃して共和政ローマが始まります。

ローマの共和政は元老院民会などを中心に、2名の最高政務官コンスル(執政官・統領)を選任して運営されていました。

ギリシアの勢力が衰退するまで、ローマはあまり目立たない存在でした。

それがB.C.272年にイタリア半島を統一すると、当時地中海の覇者であったカルタゴとの間で、3回にわたるポエニ戦争(①B.C.264年~ ②B.C.218年~ ⑧B.C.149年~)を繰り広げ、最終的にはカルタゴを滅ぼして地中海を制する帝国の基礎を築きます。

さらにローマは、周辺のマケドニア、ガリア、アフリカ北部などに領土を拡大し、ポンペイウスクラッススカエサル(シーザー)などの権力者による統治を経て、B.C.27年にアウグストゥス(オクタヴィアヌス)が皇帝の座に就いたことで、ローマ帝国の歴史が始まりました。

帝国は積極的に周辺地域を侵略し、領土と属州・植民地が地中海一帯に広がり、五賢帝時代(96~180年)のトラヤヌス帝の時代には、ローマ帝国の領土は最大になります。

この時代は社会が最も安定した状態にありました。

五賢帝時代は、長い名前で有名なマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝で終わりを迎えます。

その後も帝国は繁栄を続けますが、395年に西ローマ帝国東ローマ帝国に分裂してしまいます。

さらに476年には西ローマ帝国が事実上滅亡して、いわゆるローマ時代は終焉を迎えました。

しかし東ローマ帝国は領土を縮小しながらも、なんと15世紀まで存続するのです。

テストではここがポイント!

ギリシア文明とローマ文明では、民主政と共和政という、当時の世界ではとびぬけて進んだ政治形態が発展しました。

その中で多くの政治家が登場し、学問の世界でも今日まで名を残す偉人たちが続出しました。

これらの人物を時代の流れと共に覚えて行くことが、この時代を理解するポイントになるでしょう。

まとめ

ギリシアとローマは、ほぼ同時代に小さな集団の形成から始まりました。

しかし、その後の発展の仕方は大きく異なります。

いずれにしても、どちらの文明も現代ヨーロッパの基盤になっていることは間違いないでしょう。