【日本史勉強法】江戸時代の流れと試験対策のコツ

豊臣秀吉は政治の補佐役として、晩年五大老(ごたいろう)五奉行(ごぶぎょう)の職を設けましたが、秀吉の死後それぞれの代表格である徳川家康石田三成が対立して、1600年に関ヶ原の戦いが勃発します。

この戦いを制した家康が、幕府の初代将軍となり、およそ270年間続く江戸時代が始まります。

江戸政権の安定まで

1603年に征夷大将軍に任じられた家康は、新たな拠点に江戸を選び、大坂冬の陣(1614年)と大坂夏の陣(1615年)で豊臣秀頼(とよとみ ひでより)を滅ぼし、全国を完全に平定しました。

幕府は武家諸法度(ぶけしょはっと)で大名を統制し、禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)では朝廷と天皇まで統制することを決めました。

ここで再び「3代・5代・8代の法則」が登場します。

江戸幕府は着々と支配体制を固め、3代将軍徳川家光(とくがわ いえみつ)の時代に安定的な政権を確立します。

幕藩体制と社会の仕組み

江戸初期には260以上あったという大名家は、徳川家の親族にあたる親藩( しんぱん )と、関ヶ原の戦い以前から徳川家に従っていた譜代(ふだい)、さらにその後に従った外様(とざま)に分けられ、それぞれが1つのとして幕府の管理下に置かれる幕藩体制(ばくはんたいせい)が確立しました。

幕府は巧妙なやり方で大名の力を削り、権力を幕府に集中させます。

家光が定めた参勤交代(さんきんこうたい)もその1つで、各大名は1年ごとに江戸と自国とを往復する生活を強いられ、特に薩摩藩や長州藩など江戸から離れた藩は、参勤交代のたびに莫大な経済的損失を被りました。

この仕打ちが、後年の討幕活動につながったと言われています。

江戸の社会は完全な身分制で、士農工商(しのうこうしょう)の序列に従った社会でした。

当時の人口の8~9割は農民で、経済の中心も米の流通でした。

大名は藩内の農民に年貢として米を納めさせ、その一部を幕府に送っていました。

さらに各藩は大坂などの蔵屋敷(くらやしき)で米を貨幣と交換したため、貨幣経済と商業や流通業などが発展しました。

また江戸時代は幕府と各藩が新田開発(しんでんかいはつ)に取り組み、農具や土木技術も発達します。

商業では株仲間(かぶなかま)という同業者組合を設け、そこから幕府に営業税が納められました。

こうして全国的に産業が振興され、その中心になった江戸の人口は、世界でも珍しい100万人規模になったと言われています。

江戸幕府の対外政策

江戸時代は家康の治世に禁教令(きんきょうれい・1612年)を出し、全面的にキリスト教の布教を禁じました。

ただしスペイン・ポルトガル・オランダ・イギリスとの間では朱印船貿易(しゅいんせんぼうえき)が行われていました。

ところが1633年以降に鎖国令(さこくれい)が続けて出され、海外との貿易も厳しく統制されるようになります。

鎖国後の対外窓口は長崎・対馬・松前・薩摩に限定され、貿易の相手国も原則オランダ・中国(明~清)・朝鮮だけでした

この体制は1853年のペリー来航まで続きます。

江戸時代の政治の流れ

江戸幕府の政治機構は将軍を筆頭に、3~5名の老中(ろうじゅう)と、若年寄(わかどしより)・大目付(おおめつけ)・三奉行(さんぶぎょう)などにより構成されていました。

実質的な政治は老中による合議制で、政権運営が困難な時期には、その上に大老(たいろう)という臨時職が設けられました。

江戸時代の政治を理解するためには、三大改革を始めとする各時代のチェックポイントを押さえておく必要があります。

それを年代順にまとめておきましょう。

天和の治(てんなのち・1680年ごろ~)

「犬公方」として評される5代将軍徳川綱吉(とくがわ つなよし)は、実際には文治主義を推進した優れた政治家でした。

柳沢吉保(やなぎさわ よしやす)などの補佐を受け、政治組織の改革や貨幣改鋳などを行っています。

正徳の治(しょうとくのち・1709年ごろ~)

6代将軍の家宣(いえのぶ)は、学者だった新井白石(あらい はくせき)を抜擢して、主に財政再建や金銀の国外流出防止などの政治改革を行いました。

享保の改革(きょうほうのかいかく・1716年ごろ~)

8代将軍徳川吉宗(とくがわ よしむね)による改革で、上げ米の制(あげまいのせい)、公事方御定書(くじかたおさだめがき)、目安箱(めやすばこ)などの新しい仕組みを導入し、倹約と財政再建にも取り組みました。

田沼意次の政治(たぬま おきつぐのせいじ・1767年ごろ~)

重商主義政策をとった田沼意次は、豊かな商人の財力を利用しての経済改革や、印旛沼干拓(いんばぬまかんたく)などの新田開発、蝦夷地探検などを行いました。

寛政の改革(かんせいのかいかく・1787年ごろ~)

享保の改革を理想として、老中の松平定信(まつだいら さだのぶ)は財政の引き締めを行い、農村の人口減少を防ぐために帰農令(きのうれい)を出しました。

さらに囲米(かこいまい)という食料備蓄制度も始めました。

天保の改革(てんぽうのかいかく・1841年ごろ~)

老中の水野忠邦(みずの ただくに)は、厳しい贅沢禁止令と倹約令を出し、農村に人を返す人返し令や、株仲間の解散などの改革を断行しました。

江戸時代は世界的に寒冷化が進んだ時期で、度々天候不順による飢饉に苦しめられました。

それが一揆や打ちこわしなど民衆の反発を招き、経済再建のために享保の改革・寛政の改革・天保の改革江戸の三大改革を始めとする政治改革が行われたのです。

テストではここがポイント!

江戸時代は政治改革がポイントなので、主導者と改革の名前をセットで覚えておきましょう。

また、幕藩体制の仕組みを整理することと、庶民の暮らしの概略をつかむことも重要です。

上方を中心に大名や大商人の間で流行した元禄文化(げんろくぶんか)と、江戸を中心に庶民の間でも広がった化政文化(かせいぶんか)もまとめておいたほうがよいでしょう。

まとめ

本来なら諸藩の経済力を弱めて、幕府との力の格差を広げることが江戸幕府の狙いでしたが、その意に反して度々財政危機に見舞われます。

そして遂には薩摩藩や長州藩など、幕府に脅威を与える有力な藩が生まれることで、江戸時代は最終局面を迎えます。

まさか参勤交代の恨みが、はるか後の時代に果たされるとは、家光も家康も考えてはいなかったでしょう。

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