【日本史勉強法】縄文時代から弥生時代の流れと試験対策のコツ

以前は、狩猟採集の暮らしから農耕社会に移行したのが、縄文時代と弥生時代の境界線と考えられていました。

しかし縄文時代の研究が進むにつれて、この区分は当てはまらなくなってきました。

しかも縄文時代と弥生時代は、はっきりとした年代の区切りもよく分かりません。

この2つの時代を正確に見極めるため、ここでは縄文時代晩期から弥生時代全般の歴史を分析してみましょう。

縄文時代晩期の日本列島

鹿児島県にある上野原遺跡(うえのはらいせき)は、縄文時代では信じられないほど大きな集落跡です。

この遺跡は約9500年前の、縄文時代の草創期(最も早い時代区分)から始まり、古墳時代まで続いたとされています。

さらに約5500年前の縄文時代前期には、青森県でも縄文最大級の三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)が生まれています。

つまり縄文時代には、すでに大規模な集団生活が始まっていたのです。

こうした遺跡では高さ20mにもなる建物跡や、大がかりな調理施設跡も見つかりました。

ほかにも日本各地から交易によってもたらされた石材や、さまざまな道具類などが発見されています。

縄文時代は今から3000~2500年前ごろまで続きましたが、晩期にはかなり高度で文化的な社会が築かれていたようです。

弥生時代の始まり

これも弥生式土器と呼ばれる、縄文土器よりもシンプルなデザインの土器にちなんで命名された弥生時代は、紀元前5世紀ごろに始まったとされていましたが、最近の研究で紀元前10世紀ごろから始まったと考えられるようになりました。

縄文時代との違いは、水稲栽培が中心の食生活、金属器の使用、環濠集落の登場と考えてください。

弥生時代になると水田跡の遺跡が各地で見つかっていて、最も古いものは紀元前10世紀にまでさかのぼり、これを縄文時代とするのか弥生時代に含めるのか論争が続いています。

弥生時代の特徴

弥生時代になると、集落の内側と外側をはっきりと区画する遺跡が見つかっており、これらは環濠集落と呼ばれます。

集落の周りを深い濠(ほり)が取り巻いていたためで、集落どうしの争いから一族を守る役割があったと考えられています。

つまりこの時代には、組織的な争いが起きるようになっていたのでしょう。

武器と農具の進歩

その証拠は武器の進歩にも見られ、銅矛(どうほこ)や銅戈(どうか)のような青銅器の武具が登場します。

青銅器は農具や工具にも使われるようになり、農業の生産性が大きく向上しました。

近畿地方を中心にして、さかんに銅鐸(どうたく)が作られたのも弥生時代の特徴です。

島根県の荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)からは、358本という大量の銅剣がきれいに並べられた状態で出土しました。

銅鐸も各地から多数出土していて、中には高さが1mという巨大なものまであります。

そのため、こうした青銅器は祭祀用だったと言われていますが、縄文時代の土偶と同じく正確な用途は分かっていません。

水耕栽培と高床倉庫

水稲栽培は紀元前4世紀には、西日本全域に広がっていたようです。

弥生時代には土器で調理した米を主食にして、縄文時代と同じような食物と一緒に食べていたのでしょう。

水田にはすでに現代のような仕組みが見られ、小規模ながらも灌漑(かんがい)や排水のための水路が設けられていました。

収穫した米は高床倉庫などに保存され、食料の備蓄も始まっていました。

弥生時代は社会の仕組みが整ってきた時代であり、現代の日本の原型がこのころにできあがったとも考えられています。

実は縄文時代の人と弥生時代の人は、同じ系統の日本人ではないと言われています。

縄文時代にすでに日本に住んでいた民族と、その後で大陸から渡ってきた民族が、ゆるやかに混血して現代日本人の祖先になったようです。

テストではここがポイント!

弥生時代は大規模な環濠集落のうち、代表的な遺跡を覚えておきましょう。

以下に重要な遺跡の名前を挙げておきます。

吉野ケ里遺跡(佐賀県:周囲を二重の濠で固めた、日本を代表する巨大な環濠集落)

唐子・鍵遺跡(奈良県:大型建物跡や青銅器の工房跡などが見つかった巨大な環濠集落)

纒向遺跡(奈良県:弥生時代晩期に現れた、邪馬台国の候補とされる複合遺跡)

登呂遺跡(静岡県:水田跡と集落跡)

板付遺跡(福岡県:水田跡と集落跡)

菜畑遺跡(佐賀県:水田跡と集落跡)

またこの時代には、渡来人が日本の文化形成に大きな役割を果たしたことにも注目してください。

渡来人はもう少し後の時代でも登場しますが、水稲栽培や金属の加工技術は、朝鮮半島を通じて日本に伝播したと考えられています。

そして弥生時代の晩期は、青銅器文化から鉄器文化へと変わる、極めて重要な歴史的転換期だったことも忘れないでください。

まとめ

縄文時代と弥生時代は、土器の違いだけで分けられたものではなく、稲作の有無で区別されるものでもありません。

現代日本社会の原型ができあがった時期ですが、はっきりした境界があったというよりも、ゆるやかに縄文文化から弥生文化に変化していったようです。

歴史は流れで覚えることが非常に重要です。

この時代には土器、青銅器、鉄器の歴史や、水稲栽培の歴史がぎゅっと詰まっています。

その流れを各地の遺跡と結びつけて、大きく社会が変化した時代だととらえるとよいでしょう。

サイト管理人

次の時代を勉強したい方は当サイトのこちらの記事をお読みください ⇒ 【日本史勉強法】古墳時代の流れと試験対策のコツ

サイト管理人

前の時代を勉強したい方は当サイトのこちらの記事をお読みください ⇒ 【日本史勉強法】旧石器時代から縄文時代への流れと試験対策のコツ